他是不吾の無職手記

珍しくもない?他の人もやってる?俺がやるから価値があるんだ!

退職にあたって悩んでいたこと

最近退職届を出した馬籠です。

退職に関して、それはもう色々悩みました。

今後また同じことを悩んでも仕方ないので忘備録に。それでも悩むときは悩むんだけどね。

 

職場の環境はとても良かったので、今後動けるようになって転職するとしても今より良い環境はなかなか無いんだろうなとか、

社内日報で離職率を心配する書き込みを見て人がいなくなるのは寂しいなと思ったりとか、

そこまで大きくない中小企業では珍しい京大院卒が入ったらこの先を多少期待してくれてるだろうから、がっかりさせてしまうだろうかとか。

 

それこそ悩んでることがこの体調不良の原因なのではと疑うくらい。

 

 

でも、毎朝通勤電車乗る間、頭痛と目眩でここは地獄かと思うくらい苦しかったし(馬籠はとっても電車が苦手、人が多いの苦手)、

勤務中、左右の目の焦点が合わなくて片目隠してPC画面を睨んでたし、

夜寝るときにはいつも明日の体調が悪かったら嫌だなと心配して寝れなくなってしまったし、

配属されたばかりの部署でほとんど何もできない馬籠のために上司が仕事を考えてくれるのに、高頻度で欠勤するし、早退するし、

申し訳無さでここからいなくなりたいと思っていました。

 

 

勤労意欲はたしかにありました。が、モルトケの法則で言われるように意欲があって能力がない人間は最も部下とするに向いてないようで、自分会社員無理じゃねという思いを日々高めておりました。

 

忠ならんとすれば体持たず、体もたせんとすれば忠ならず、馬籠の進退ここに谷まれり

(馬籠の場合辞めるのが忠なのではという意見は、ここでは言わないお約束)

 

 

約束通りの完全な勤務(10時~16時)が連続して2週間勤められずにいた頃、最近京都へ移住した大学の先輩が、Twitterで京都の吉田神社の節分祭を楽しんでいる様子を上げていて、学生生活が懐かしくなり、全く仕事ができないのに会社周りに縛り付けられている自分があまりにも惨めに見えてきて、次の日退職の意思を社長に伝えました。

 

これが拍子抜けするくらいすんなり受け入れてもらうことができました。ホントに一言で済んだと言っていいくらいです。
まあ会社からしても来いって言って全然来ない奴にこれ以上席をやっても仕方ねえと思っていたかもしれませんが。

 

 

後日退職願を書いて、机周りを片付けて、上司に挨拶して回って、晴れて無職となりました。

目眩がしてまともに会話すら難しい状態の馬籠でも一連の儀はこなせました。どうしようもねえと思っていたのに、これが進退窮まるということなのかと少し感動です。

 

 

今回のことで馬籠が学んだのは、

 

たった一言で退職のように状況を大きく変えられること

 

迷って考えて堂々巡りした過程は、その後の行動のエネルギーになること。

 

の2つです。

 

みなさんも困ったら進退極まらせましょう。

 

 

書き終わって読み返して気がついたのですが、お金のこと、あんまり悩んでませんね。

こいつどうするつもりなんだろう。

また京大卒無職が生まれてしまった

 

無職記念になんか書きます。

 

京大卒無職なんて珍しくもないでしょう(馬籠の友人達に関しては特に)

学歴押しの話も多分あんまり書けないので物珍しさは更に減衰。

客寄せ用の京大卒です。でもパンダ可愛いよね!

ちょっとはマシな大学を出れるけど会社員ができない困った人間の様子をお楽しみください。

 

 

さて、長らく休職していた勤め先に退職届を提出してきました。

社会人一年目の馬籠(マゴメ)と申します。

社会人と言っても新入社員3ヶ月目、去年の6月に休職をしておりました。

11月から復職の練習のためにと週3日、10時~16時(実働5時間)ゆったり勤務を組んでもらっていたのですが、それすらこなすことができず、もはやこれまでと退職を決めました。次の仕事のあてもないので無職の誕生です。

収入は、二ヶ月分は普通にお給料をいただきましたが、あとは正規給料の3分の2程度の傷病手当で生活しています。

 

累計お給料より累計お休み中のお手当のほうが多い!

 

社会人収支は未だにマイナスです。というか今も毎月赤字を垂れ流している。

 

 

退職の理由はというと鬱のような適応障害のようななにかです。

不定期で頭痛と目眩に苦しめられてきた馬籠はこれまで2度留年をしております。

一度目は高校一年生のとき、二度目は大学院1回生のとき。

どうも頭が回らないなと思う日が時々あり、それでも予定があると押して出っ張って行くと不調が強くなります。

小さい頃からなんとなく感じていた症状なので、高校留年する頃まではみんな普通にそうだと思っていたのだけれど。

緩和する術は今のところ大量に寝るくらい。一応病院では抗てんかん薬をもらっていてこいつが多少効いてるかも(?)、といったところ。

 

 

一年ほど前、就活する頃は症状も落ち着いて、お給料もらうんだからそれなりの責任感も出てなんとかなるやろ、と思っていたがこのざまである。

なお、30社くらい落ちて憮然としていたが、今になっては落とした採用担当の皆様はご慧眼であったと言わざるをえない。

 

 

職場の環境はとても良いものでした。上司は優しいし遊び心のある人達で、仕事量も控えめで、お給料はそこそこでしたが、なんの文句もありませんでした。

しかし、体調にかかわらず予定が組まれている状況が馬籠にはあまりにも高難易度でありました。難なく9時18時出勤をする周りの社員はトップアスリート集団のように見えました。普通に会社員ができるみんな、学生ができるみんな、君たちはすごい!偉い!

 

 

今後はとりあえ得ず実家に帰って療養しましょうか。

仕事?知らんよ?何ならできるか教えてくださいな。

普通の人が働いてる環境なら自分も行けるだろう、が通用しないことがわかったのは大きな収穫です。

 

”俺の歌とペンがサーチライトになるのさ 俺みたいになるなよ 考えてやるのさ”(筋肉少女帯 サーチライトより)

 

音楽と物書きでっていうのは理想だなあ(脳死)。考えて、やるのさ!

 

馬籠は先月27歳になりました。

坂本龍馬も27で浪人になったので、同じ道を歩んでいる!と強がりを言っています。